アンゴラ基本情報

1.地理,言語,民族など

(1)地理・気候

  アンゴラはアフリカ南西部に位置し,日本の約3.3倍の広大な国土を有します。海岸沿いに南北に伸びる平野部,中南部に位置する標高1500mを超える中央高地,またそれ以外の地域は標高500m~1000mの丘陵地となっています。こうした高度差のある国土に加え,近海を寒流が流れていることもあり,気候は,海岸沿いはサバンナ気候,内陸は熱帯雨林気候,また,南部の海岸沿いは砂漠気候と,多様性に富んでいます。
 首都ルアンダは近海には寒流が流れているため,海に面した低緯度に位置するにも拘わらず,気候的にはサバンナ気候に近いと言えます。季節的には,雨期(11月頃~5月頃),乾期(6月頃~10月頃)から構成されています。年間降水量は400mm程度と日本の1700mmと比較すると4分の1以下と少雨です。
 雨期は高温多湿で,平均気温は25~27度,最高気温は35度に達することもあります。雨はスコールのように降るケースがほとんどです。 乾期は比較的涼しく平均気温は20~24度,最低気温は15度まで下がることもあります。ほとんど日が差さず,どんよりと曇った毎日が続きますが,雨はほとんど降りません。乾期は比較的過ごしやすく,日中の日陰及び夜には上着が必要になることもあります。
 日本との時差は-8時間, サマータイム制はありません。
 

(2)言語

 公用語はポルトガル語です。ウンブンドゥ語,キンブンドゥ語,チェクウェ語といった部族語もありますが,多くの都市部ではポルトガル語でのコミュニケーションがほとんどです。また近年都市部では,レストラン等でも徐々に英語も通用するようになってきています。

 

 (3)民族

 オビブンドゥ族,キンブンドゥ族は農耕民族であるのに対し,キコンゴ族は古くから貿易,交易で生計を立ててきた民族だと言われてます。ポルトガル系を中心とした混血や白人は、依然としてアンゴラ経済の中枢を占めています。  

バンツー系 オビブンドゥ族 37% ウアンボ周辺の中央高地及び南部
キンブンドゥ族 25% ルアンダ周辺の海岸部及び北部
キコンゴ族 13% カビンダ及び北東部
ポルトガル系 混血 2% ルアンダ系
白人 1%

 

(4)宗教

キリスト教が最も信仰されており、カトリックが3分の2を占めている。都市部には教会(カトリック、プロテスタントなど)が多数ある。地域によっては伝統的な土着宗教も根強く信仰されている。

 

カトリック

38%

プロテスタント

15%

土着宗教

46.8%

仏教

2%

2.国旗,国歌

(1)国旗

アンゴラの国旗は,赤と黒の2段になっている。その色の意味は,赤は植民地時代の抑圧,独立への戦い及び国家の防衛でアンゴラ人が流した血を象徴し,黒はアフリカ大陸を象徴する。中央部には工業及び労働者を象徴する歯車と農産業,農夫と戦いを象徴するカタナ(山刀),国際団結と開発を象徴する星で構成する。歯車,カタナ及び星の色は国の富の象徴,黄色である。制定日は1975年。

 

(2)国歌

 進めアンゴラ!(ポルトガル語: Angola Avante!)はアンゴラの国歌。マヌエル・ルイ・アルヴェス・モンテイロ(Manuel Rui Alves Monteiro; 1941年-)作詞,ルイ・アルベルト・ヴィエイラ・ディアス・ミンガス(Rui Alberto Vieira Dias Mingas; 1939年-)作曲。ポルトガルから独立した1975年に国歌となった。

 アンゴラ国歌をお聴きになりたい方はこちら

 

アンゴラ国旗

3.歴史

(1)サバンナの王国社会

 ザイール川流域は,アフリカ大陸の地表のおよそ十分の一を占める。その外縁部を構成するのはサバンナの世界であり,ここには15世紀ころからコンゴ,ルバ,ルンダの王国と文明が形成された。
 この地域は,十一世紀から十三世紀にかけてザンビアからインド洋にたどり着く交易の道を作るとともに,それに続いてアンゴラなどの大西洋岸との交易も始めていた。このような長距離交易に支えられながら,サバンナ世界はザイール川の水界の中でいち早く歴史に名前をとどめる,コンゴ王国,ルバ,ルンダなどの王国を生み出した。
 十五世紀から十六世紀にかけての時代は,アフリカ世界がまさに初めてヨーロッパ世界と直接対峙する時代と重なった。その結果,隠されていたザイール川水界の文明史が一挙に「世界史」の舞台に顔をのぞかせることになった。
 

(2)ポルトガルとアフリカ

 十五世紀末以降,イベリア半島のスペインとポルトガルを先頭に,北西ヨーロッパ諸国が探検,略奪,植民,商取引などの形で海外に進出した。一般に大航海時代と言われる。ポルトガルに他のヨーロッパ諸国も続いた。しかし,十九世紀以前にはヨーロッパ人のコロニーはほとんど造られなかった。海上ではヨーロッパ人が主人であったが,陸上の主人はアフリカ人だった。
 当初には略奪商法ともいうべき海賊行為がはびこったが,それが収まると,主にヨーロッパの金属製品と西アフリカの金,象牙,胡椒,綿製品などの平和な交渉が始まり,双方が利益を引き出した。
 

(3)大西洋奴隷貿易の開始

 大西洋奴隷貿易の開始を告げたのはスペインだった。十七世紀になるとスペイン,ポルトガルに代わりオランダが,十八世紀にはイギリスの主導のもとに大西洋奴隷貿易は絶頂期を迎えた。大西洋を渡ったアフリカ人奴隷の数は,一般には千二百万から二千万程度と見積もられている。ポルトガル商人が全体の約四割を運んだといわれる。彼らはブラジルとスペイン領アメリカ向け奴隷貿易の仲介地として,サントメとサンチアゴを建設し,ルアンダとベンゲラ(ともにアンゴラ沿岸)は西海岸最大の奴隷積み出し港となった。 
 

(4)植民地支配

 停滞的で閉鎖的な部族社会と言われてきたこの時代のアフリカは,実は壮大でダイナミックな地域ネットワークと民族複合文化を形成していた。ヨーロッパと接触する前のアフリカ社会には,様々な民族と多彩な王国が興亡し,強靭で広汎な商業ネットワークが成立していた。
 1880年から1910年までのわずか30年の間に,広大なアフリカ大陸は,ヨーロッパ列強によって分割され,武力征服され,植民地支配が始まった。
 

(5)遅れた解放

 ポルトガルはアフリカ植民地化の幕を開けた最初の海洋国家であるとともに、その幕を閉じた最後の植民地帝国でもあった。大部分のアフリカ諸国が独立した1960年代になっても,ポルトガル植民地のアフリカ人の9割以上は読み書きを学ぶ機会を与えられなかった。アンゴラではアゴスティーニョ・ネトが率いるMPLA(アンゴラ解放人民運動)が結成された。こうした中で,ポルトガル本国で1974年,反ファシズムのクーデターが成功し,新政権の下で,74年から75年にかけてすべての植民地の独立を認め,アンゴラも独立を達成した。

 
(6)諸外国の介入 

 独立後の旧ポルトガル領植民地が歩んだ道は,決して平坦なものではなかった。南アフリカがナミビアの軍事基地からアンゴラに直接侵攻を繰り返した。アンゴラ南部では,ジョスナ・サビンビ率いるUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)が反政府活動を強めていた。冷戦下のアメリカは,マルクス・レーニン主義を掲げていたアンゴラ政府を敵視し,南アフリカと一緒に右派勢力のUNITAを支援した。アンゴラ政府側には,キューバが兵士を派遣し支援した。1994年に南アフリカにマンデラ政権が成立したことで,ようやくアンゴラにも和平の機会が訪れた。1995年にUNITAの政権参加が決まり,呉越同舟の新体制が発足したが,その後,内戦が再燃した。2002年になり,やっと双方が休戦に合意し30年近く続いた内戦に終止符が打たれた。
 

(7)新生アンゴラの誕生 

 MPLAは1990年に社会主義路線を放棄し,翌年には複数政党制の導入を決めた。1991年5月,MPLAとUNITAがリスボンで和平協定に調印したが,1992年の大統領選挙及び議会選挙をめぐる対立から再び内戦となった。1994年,国連の仲介で和平がなったが,1998年に内戦が再燃した。
 2002年2月,UNITAのサビンビ議長が死亡したことから,和平機運が高まり,やっと内戦に終止符が打たれた。現在まで和平の定着のために様々政策が実施された。2008年秋には初の全政党が参加する民主的な総選挙が平穏理に実施され,与党MPLAが圧勝,国内の政治的安定度性が一挙に高まった。2008年,アンゴラはサブサハラ・アフリカ諸国の中で最大の産油国の一つとなり,南部アフリカの中でも政治的にもっとも安定した国の一つとなりつつある。


※出典:「新書アフリカ史」講談社現代新書
米米 

4.首都ルアンダ

  • 現在のルアンダ市は,30年近くにわたる内戦中に流入した避難民が定着し,アンゴラの総人口の10パーセント近い約210万人(ルアンダ州で650万人)が集中しています。また,経済成長による国民の収入増大,公共交通機関の整備不足に伴い,車の保有数が増え,市内のインフラ能力を遙かに超えてしまいました。そのため,激しい交通渋滞が慢性化し,15分程度の道程も,朝夕の混雑時には1時間以上かかる日も珍しくありません。特に,雨の日は渋滞がひどく,3キロ程度移動するのに2時間半から3時間もかかる事態に至っています。ガソリンスタンドも車輌数に比してその数が少ないことから慢性的に混雑しています。
  • 2002年の和平達成から,オフショア油田の産油量が急速に増加し,外国のメジャー石油企業がルアンダ市内にオフィスを構え,それらに関連する企業の外国人ビジネスパーソンが市内に数多く生活するようになりました。その結果,内戦のため独立前の住宅も維持管理が殆どなされず,また,新規の住宅建設もない中で少しでも良い住宅物件があれば,その賃貸料は異常な値上がりを見せました。市内では,邦人が住む最低限の水準さえも満たしていない住宅であっても,非常に高額の家賃を求められ,かつ1年分の家賃の前払いを要求されることがあります。
  • 家賃の高い住宅でも停電や断水は発生します。また,エレベーターが正常に稼働している住宅は,ごく最近建設された高層住宅以外は未整備といっていい状況です。発電機と貯水タンクを備えた住宅でない限り,まれに,停電と断水の夜を送ることもあります。このような住宅需要の増加から,市内では様々な住宅建設が進行中ですが,ほぼ全ての建設資材を輸入に頼っているため,工事の進み具合は遅々としています。
  • また,日常生活物資や生鮮食料品も,輸入に依存していることから値段が極めて高く,市はここ数年,外国人ビジネスパーソンにとって世界で最も物価の高い都市のひとつとしてランクされています。また,低い医療レベル,マラリア等の病気への罹患の危険性もあり,緊急時は海外への緊急移送が必須であると言えましょう。現在は,先進国から来訪した外国人にとっては,厳しい生活環境であると言わざるを得ません。
  • 一方で,ルアンダの気候は一年を通じ,温暖で夏季であっても日本の梅雨のような湿度はなく,快適であるといえます。また,高台から望める大西洋は美し,特に夕日の美しさは格別です。また,市に近接する南部の地域は,原油高による大量の資金流入により,高級住宅街が建設されつつあります。また,これまで殆ど舗装されていなかった市周辺の幹線道路もほぼ舗装,修復が済み,日に日に地方への移動時間が短縮しています。しかしながら,通勤時間帯の異常な交通渋滞のため,この近接する新しい住宅街からの通勤はあまり実際的ではないと言えます。