フォト・アーカイブス

1)トピックス
  2011年
ザイレ州(7月22日)
キッサマ国立公園(6月25日)
アンゴラの食材(果物を中心に)(4月15日)
  2010年
平和の配当?カバ、ライオンが戻った!(12月8日)
天皇誕生日祝賀レセプション(12月2日)
講道館柔道レク・デモ(11月8日~9日)
ナミベの街並み(10月4日)
地方の伝統的な家屋(8月24日)
戦争の傷跡(8月24日)
自然の中で生活するナミベの地元住民(8月18日)
国内の旅で見かけた人々(7月10日)
アンゴラの楽しい青物市場(7月10日)
アンゴラの野生の食材(7月10日)
  2009年
アンゴラの自然(9月16日)
アンゴラ柔道(5月22日)
子供たち(4月15日)
2)アンゴラ各地の様子
  2011年
ベンゲラ州(7月22日)
クネネ州その2(6月15日)
クネネ州(6月15日)
ビエ州(6月15日)
クアンドクバンゴ州(6月15日)
  2010年
カビンダ州(12月5日)
ナミベ州(4月5日)
モシコ州(4月5日)
ウアンボ州その2(3月29日)
ウアンボ州その1(3月29日)
ビエ州(3月29日)
  2009年
ルバンゴ州その2(11月17日)
ルバンゴ州その1(11月17日)
クワンザ・スル州(9月16日)
ザイレ州(9月8日)
クアンド・クバンゴ州(9月8日)
ベンゲラ州(9月8日)
ウイジ州その2(9月8日)
ウイジ州その1(8月6日)
ザイレ州(9月8日)
クアンド・クバンゴ州(9月8日)
ベンゲラ州(9月8日)
ウイジ州その2(9月8日)
ウイジ州その1(8月6日)
   

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テーマ:戦争の傷跡

2010年8月24日

 

アンゴラは1975年に独立したものの内戦が始まり、以後2002年の和平成立まで
一時的な停戦をはさみ30年弱、独立前の対ポルトガル軍との解放闘争を含めると更に長期間に亘り、戦争状態が続きました。
その結果、和平成立後8年経った現在でも、地方都市の至る所に生々しい戦争の爪痕を見ることができます。また、1000万個以上といわれる対人地雷、対戦車地雷も未だ多く埋まっており、復興の障害となっています。
地雷除去については、多くの国際NGO、外国政府、そして日本政府も積極的な協力を行っており、幹線道路、主要都市、主要インフラ周辺等は除去されつつあります。また、日本政府は、日本のNGOと協力して、アンゴラ政府の地雷除去能力の向上、大型機械による地雷除去について技術指導を行っています。


ビエ州の州都クイトのメインストリートにあるビルです。壁に無数の銃弾痕が 残っています。

 


ウワンボ州の州都ウワンボ左側ビルには砲弾で開いた穴が、右ビルも一部が
破壊され、壁には銃弾痕が残っています。

 


上下二枚の写真は同じビルです。凄まじい銃弾痕がみられます。(ウワンボで撮影)



ウワンボは、反政府軍であったUNITA軍の根拠地でした。ウワンボは、植民地時代は、ノーバ・リスボン(新リスボン)と呼ばれ、気候温暖で美しい町であったと地元の人は話しています。現在、漸く復興の槌音が聞こえ始めたところです。

 


現在人が住んでいるビルにも銃弾の痕が見られます。

銃弾痕はあっても、銃声も聞こえない、銃弾も飛んでこない

平和の喜びを住民は心から噛みしめていることでしょう。

 


地方を旅すると道路脇に放置された戦車の残骸と出会うことがあります。砲塔の錆が
平和の長さを測っているようです。

 

  
対人、対戦車地雷です。ウワンボで活動している国際NGOのセンターで撮影。
日本政府もこのNGOに対する資金支援を通じて、多くの地雷除去に貢献しました。
対人地雷は敵を殺さないように傷つけ、食料を消費させ敵に厭戦気分を起こさせるという、

極めて非人道的な兵器です。東欧製、欧州製、米国製、ソ連製、中国製、南ア製等極めて多種の地雷が発見されています。

 


地雷とともに、長期的に問題を残すのが不発弾です。子供たちが玩具にして事故を起こすケースが多く、

不発弾問題は今後何十年も続く問題でしょう。

 


ウワンボにあるアンゴラ地雷除去院所有の日本製地雷除去機です。アンゴラでは、
山梨日立とコマツの地雷除去機が活躍しています。